技術や製品の選択は投資なのだ

先週メディアを賑わした、東芝HD DVD 撤退に関する報道。

ニュースを見ていて何か違和感を感じる。報道の中でなぜか誇張されているように見える「大枚はたいて HD DVD レコーダを買ったのにいったいどうしてくれるんだ」的な消費者の声。企業を悪者にして消費者の見方をするのは王道かも知れないけど、今回ばかりはちょっとミスリーディングなのではないだろうか。

メーカーにまったく責任がないとは思えないけど、Blu-ray を選ぶか HD DVD を選ぶかの選択は最終的に消費者にゆだねられていた。だから、今回 HD DVD レコーダを買って失敗した人は、Blu-rayHD DVD のどちらが生き残るか、見極められなかっただけなのではないかと思うのだ。

ちょっと冷たいかもしれないけど、世の中の発展のためには競争は不可欠だ。今回 HD DVD が敗れたのは、健全な企業活動の結果だとも言える。昔と違って、今はどちらがよいか判断するための材料はネットや雑誌などにあり、手を伸ばせばアクセスすることができる。少なくとも今回の次世代ディスク対決では、十分な判断材料が提供されていたと思う。だから、たとえ損をしたとしても最終的に購入を決めた人間の自己責任なのだ(しかも今回に限っていえば、まだまだウン十万もするレコーダを購入できるのは金銭的に余裕のある人間であり、社会的弱者ではない)*1

僕は株をやったことはないけど、投資した会社の株が下がって大損したとしても最終的には自分の責任であるのと、なんらかわりがないのでは、と思うのだ。

今の時代、製品や技術には選択肢が溢れている。身近な存在である携帯電話にしてみても、MNP の導入で DoCoMo 一人勝ちの状態から大手三社がしのぎを削る状況になっている。そんな中、各社のサービスの違いを見極めて購入を決めるのは、最終的には自分たち消費者だ。

ソフトウェアの世界でも同じ。特に Java 関係の OSS では、似たようなプロダクトが乱立している。OSS を選択するということは一つの投資なのではないだろうか。

ソフトウェアの世界に身を置く自分は、製造者であり消費者でもある複雑な立場なわけだが、ここでは敢えて消費者の立場に割り切って考える。
選択した OSS が絶対に生き残り、普及するという保証は誰にもできないのだ(たとえ開発者でさえも)。でも、そのプロダクトを選択した(投資した)人が多ければ多いほど、そのプロダクトは成長し利用者もリターンを得る。投資したプロダクトからリターンを得たければ、さまざまな形でそのプロダクトに関わっていく(経営参画する)ことで、自分の思う方向に変えることも可能だ。

共通していえるのは、製品やサービスの選択肢が広がったぶん、コンシューマもサプライヤを盲目的に信じるのではなく、自分の目で見て、考えて選択しなければならない時代になった、ということなのだ。

これが果たして良いことなのか、悪いことなのかはわからない。それでも僕は選択できることの自由を歓迎したいと思う。

*1:余談だが、普段は新しもの好きで新製品が出るとすぐに買ってきて家族を呆れさせるうちの父も、VHS-ベータ戦争でベータを選んで失敗していただけに、今回は慎重を期して HD DVD に手を出していなかった