受託開発とパッケージ開発の提供する価値の違い

昨日に引き続き、「価値」について考えてみます。

IT業界に身を置く人には周知の事実ですが、ソフトウェア開発には大きく分けて以下の2種類があります。

  • 受託開発
  • パッケージ開発

受託開発は、コンピュータシステムを必要とする顧客に対して、その顧客のニーズにマッチするシステムをオーダーメイドで開発してあげること。

たまーにダウンして話題になる東証の株取引システムや、数年前合併時のトラブルで話題になった銀行のシステムなどは(おそらく)すべて受託で開発されています。

一方で、不特定多数向けにソフトウェアをパッケージ化して販売するのがパッケージ開発。わかりやすいのは、MicrosoftWindows や Office シリーズです。

昨日の『求められる価値が「機能」から「質」へ移行する』という話をあてはめて考えてみましょう。

パッケージ販売の場合

パッケージ販売にはこれがほぼ当てはまります。たとえば、普段私たちがお世話になっているIMEについて考えてみましょう。Windowsでいえば、Windows標準バンドルのMS-IMEと、ジャストシステムATOKシリーズに、ほぼ淘汰されてしまいました。

もう少し昔は、VJEやWX、松茸(古い?)など、何社かから製品が販売されていました。IME(昔はFEPと呼んでいました)基本機能といえば「かな漢字変換」でした。ちょうど各社から様々な製品が売り出されていた頃は、IMEとしての基本機能が完成され、ちょうど「機能」から「質」への転換期だったのでしょう。

その結果、最も質がすぐれていたATOKが生き残ったのでしょう。MS-IMEの場合、質の面ではATOKで劣るものの「OS標準バンドル」という大きなアドバンテージが生き残りの要因になっています。

この例で示すように、パッケージ販売されているソフトウェアでは「機能」から「質」への価値の転換が起きているわけです。

受託開発の場合

難しいのが受託開発。中途半端なことを書くと受託開発をたくさんやっている方からお叱りを受けそうですが、恐れずに考えることを書いてみます。

基本的にオーダーメイドで開発されているため、まず優先されるのは「機能」です。もちろん「質」がおろそかにされるわけではないですが、すくなくとも顧客の求める「機能」を満たすことが最低条件です。

そう考えると、極端に言えば常にゼロから機能を作るので、「質」への価値の転換は起こりにくいのか・・・? と思ってしまいます。

そこそも、一見同じ「ソフトウェア開発」に見えるパッケージと受託を同列に考えるのは、おかしいのかもしれない。

パッケージ販売は、ソフトウェアの提供する機能や質に対して対価を得るビジネスであるのに対して、受託開発は「ソフトウェアを開発する能力を提供する」ことで対価を得るビジネスです。

そう考えると、

  • 「ソフトウェアを開発する能力」 → 顧客が開発ベンダに求める「機能」
  • 「顧客のニーズをどれだけ汲み取って具現化できるか」「どれだけ使いやすいソフトウェアを提供できるか」「どれだけ安定したソフトウェアを提供できるか」 → 開発ベンダの「質」

と捉えることができます。

すると現状は「ソフトウェアを開発する能力」という機能を満たすベンダは市場に溢れており、顧客がベンダに求めるのはその質に(すでに)移行していると捉えられます。

つまり、受託開発っていうのは、やっぱりサービス業なんだなぁ。あらためて納得。

パッケージ開発と受託開発は「ソフトウェアを作る」という意味では似た仕事ですが、顧客が求める価値は違うので、そこのところを勘違いしていると足下をすくわれてしまうのです。

自戒をこめて。